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長崎家庭裁判所 昭和31年(家イ)160号 命令

申立人 松木久美(仮名)

相手方 松木政一(仮名)

主文

相手方は申立人に対し金壱万円を昭和三十一年九月二十六日午後五時迄に申立人方に持参して支払うこと。

(家事審判官 藤原千尋 調停委員 岡本直行 調停委員 三宅ヤスヨ)

参照

申立の趣旨

1 申立人と相手方とは離婚する。

2 当事者間の長男輝夫、長女紀子、二女和子の親権者を母である申立人と定める。

3 相手方は申立人に対し、長男、長女、二女の養育費として金三十一万八千円並びに別居後生じた負債金十二万円をそれぞれ支払うこと。

4 相手方は申立人に対し、慰藉料として相手方所有の長崎市家野町三十六番(家屋番号同町第一三七番)木造瓦葺平家建居宅一棟、建坪十三坪五合を譲渡すること。

事件の実情

申立人の主張

申立人は相手方と昭和十二年二月二十三日正式に結婚し、現在迄に一男、二女を儲けた。

結婚当時相手方は朝鮮総督府建築課の設計技師であつた。

昭和十八年に相手方が現地召集を受けたので申立人等母子は昭和二十年四月申立人の実家(長崎県南高来郡加津佐町)に引揚た相手方が、昭和二十一年十月復員して岐阜で土建請負の山形組に勤めたので、申立人も岐阜に移住して夫婦生活を営んだのである。ところが約三年位して相手方が山形組解散の為失職したので生活維持ができず、申立人は子供三人を連れて、昭和二十五年十日頃実家に帰り相手方と別居した。然し其の間相手方は一銭の生活費の仕送りもしなかつた。

昭和二十七年十月頃だつたか、相手方が長崎県庁の建築課に勤める様になつたので申立人は相手方と長崎市竹ノ久保町で同棲した。ところが相手方は間もなく県庁を退職して、其の後は二、三の土建請負業の設計技師として転々としていた。それから昭和三十年六月長崎市今下町一五番地に建築設計事務所を開設し、同時に相手方は何等の事由もないのに申立人母子四人を遺棄してその事務所に転宅別居し生活費の送金をもせず、家庭を顧みないので、昭和三十一年三月六日長崎家庭裁判所に家庭関係調整の調停申立をしたが、申立人の親、兄弟の懇請に依り、相手方は申立人母子を扶養する旨確約したので、調停を取下たが、全然実行しないので再び本調停の申立をしたのである。

申立人は現在貧血症などの病に罹つており、小型吸入器を使用しながら袋張りの内職をして月に僅か千円程度の収入と、高校を中退して働いている長男輝夫の月三千円位の収入とで生活を維持しているが、申立人の薬代や義務教育中の子供の教育費用等の関係で実際の生活費に当て得るのは僅かなものであるため、家財道具を売つたり、申立人親、兄弟の援助と近隣者の同情(他人より金品を借用する)とにより今日迄は赤貧の生活をしてきたが、現在ではこれらの方策もつき果てここ数日の食事は甘藷やすいとんばかりで子供達は毎日空腹を訴える状態で、このままでは申立人母子四人は餓死寸前であるので何とか処置してもらいたい。

相手方の答弁

相手方は申立人母子四人を故意に遺棄する意味で別居したわけではなく、相手方の職務の多忙の為事務所に寝泊りして自宅に帰らなかつたもので、申立人母子四人が本件の様な窮状になつたことはよく分かり、これは相手方にも責任があるので当座の生活費だけでも何とか支払いたい。

事件の経過

本件調停には相手方の積極的に調停に応じようという意思なく早急に成立見込がない。前述した通り、申立人母子四人の生活はすでに餓死寸前に迫つている様な急迫事情にあつたので、左記の通り調停前の措置を執つた。

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